“今日の世の中では、安全で健康な生活を送れるかどうかは、遺伝暗号以上に郵便番号で決まる。収入や家族構成、住居、雇用、教育の機会が大きく物を言い、トラウマ性ストレスを引き起こす危険ばかりか、それに取り組むための効果的な支援へのアクセスにも影響を与える。貧困や失業、質の劣る学校、社会的孤立、銃器の手に入れやすさ、標準以下の住居などがみな、トラウマの温床となる。トラウマはさらなるトラウマを生み、傷ついた人は他の人も傷つける”

Body Keeps the Score, pp583-4

“社会保障制度が持続可能なものとなるよう、国民の健康の増進の総合的な推進を図ること”を目的に制定された健康日本21では、「1に運動 2に食事 しっかり禁煙 最後にクスリ~健康寿命の延伸~」といった統一標語を作って健康増進のための啓発をしているそうです。平たく言えば、みんな健康増進のために努力してね、政府が応援するからね、という事なのでしょうが、個人的には健康でいる事があたかも個々の責任で何とかなるかのように誤認させる感じがして、あまり好きではありません。

というのも、近年では「健康って思ってたほど自分で何とかできない部分が大きいんじゃない?」という研究データが蓄積されてきており、健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health: SDoH)という概念が提唱されました。心の健康も一緒で、メンタルヘルスの社会的決定要因(Social Determinants of Mental Health: SDoMH)も人々がこころの健康を維持するために無視できない要素ではないか、なんて話がWHOを始めとして様々な研究機関・学術雑誌で指摘されています。

例えば、WHOが示す精神疾患の決定要因は5領域あり、それぞれ

ライフコース:心身周産期、小児から子ども時代、就労及び家族の形成期間、ジェンダーに関連するその後の年齢

親・家族・家庭:養育態度、妊娠時の生活状況(収入、食事・栄養、水、清潔さ、住居、雇用)、雇用ないし失業状況、親の身体的および精神的健康状態、心身及び周産期のケア、社会的サポート

コミュニティ:近所との信頼関係及び安全性、地域コミュニティへの参加具合、暴力/犯罪、自然及び人工的環境、近隣関係のはく奪

地元のサービス:早期のケアと教育状況、学校、子どもや思春期青年期対象の支援、ヘルスケア、社会的サービス、清潔な水と衛生状態

国家的要因:貧困対策、不平等、差別、ガバナンス、人権、内紛、教育へのアクセスを促進する政治的態度、雇用、ヘルスケア、住居や必要な資源を提供するサービス、全ての人を対象とした社会保障制度

が挙げられています(筆者意訳)。これらはあくまでWHOが定める、世界的に重要と考えられる要素であり、これ以外にもたくさんあるのですが、大切なことは、「健康って、思っているよりも自分の力で維持するのは大変だし、自分一人ではどうしようもできない要素が多い」という事です。

“健康公平”という考え方

“なぜ人間関係や社会的状況が置き去りにされているのか。精神機能障害の原因として、生物学的機能の不具合と遺伝的欠陥にだけ注意を向け、遺棄や虐待、窮乏などを見過ごせば、すべてをひどい母親のせいにしていたかつての各世代と同じように、あちこちで袋小路にはまり込む可能性が高い”

Body Keeps the Score, pp275-6

親ガチャという言葉が一般化されて久しいですが、養育者を含めその人が生まれ育った環境は、その人が健康で過ごせるかどうかにとても大きな影響を与えます。非常にわかりやすい例でいえば、病院から歩いて10分の所に住んでいる人と、何時間もかけて電車を乗り継いで病院に行かないといけない人とでは、健康に過ごすためのコストに差がある、という話です。

病院からの距離くらいなら、もしかしたら転居しろ、という議論も成り立つかもしれません。でも、例えば生まれた年代や親の年収はどうでしょう。雇用状況はメンタルヘルスにとても大きな影響を与えますが、就職氷河期時代に就活を行った人と、それ以外の人では就職活動の難易度が全然違っており、自分だけでなく、自分の子どものこころの健康を保つために必要な労力には大きな差があります。このように、こころの健康を保つことができるかどうかはその人の生まれ育った環境や生まれ持った要因に大きく左右されていて、そもそもが不公平なのです。自己責任というのは、同じスタートライン、平等な機会、個々のニーズに沿って必要なリソースと知識が提供されたうえで初めて成り立つ話です。だからこそ、個人がこころの健康を維持することができるよう、一律ではなくその人個々の状況に応じて必要なサポートをしましょう、というのが健康公平性(Health Equity)、という考えです。

自己責任では何も解決しない

健康公平性がこれ以上ないほど如実に証明されたのはCOVID-19(コロナウイルス感染症)の流行でした。人種、経済状況、居住地域といった、免疫系とは直接関係のない社会的要因がCOVID-19の罹患率・重症化率・死亡率に大きく影響していたという事実は、JAMALancetNew England Journal of Medicineなど、数々の有名な学術誌で繰り返し指摘されていた通りです。

精神分析医で、文化人類学者のEric Reinhart氏は、所得や人種などの面で脆弱な人たちに適切な投資をしないことは、結果的に社会全体にとってのリスクになると指摘しています。私個人としてはあまりこういった論の展開は好きではないですが、事実として、必要な人に必要な資源が投資されない事によって、感染が拡大していったこと(そして多くの場合自己責任として処理されてしまったこと)はまさに日本でも起きていた状況です。

つまり、健康格差を是正しないことは、倫理的に問題であるのみならず、社会全体にとっても大きな損失になるのです。

「否認している」は本当?

“断薬した後も、貧困に変わりない”

Malcolm X

健康公平性は、トラウマや物質使用の問題からの回復においても重要です。トラウマ体験や物質使用の性質以上に、その人を取り巻く周辺要素がその人の回復に無視できない影響を及ぼすからです。そのため、トラウマや薬物使用からの回復のためには多くの周辺要因に対処しなければならず、トラウマとは精神医学的問題ではなく、最早公衆衛生的な問題だと捉えなおされています(例1例2)。

一律の支援は平等ではあっても公平とは言えません。手が届かなければどんなにいいリンゴが木になっていても何の意味もありません。小さい子どもには足場を貸してやるように、必要な資源にリーチするために必要な援助の量や質はその人によってそれぞれです。それを、「わがまま」であるとか「否認している」と考えるのは支援上あまり有益ではないでしょう。

と同時に、(これはトラウマインフォームドケアともつながる話ですが)本人が「必要だ」と言っていることに、まずは耳を傾けてほしいのです。衣食住といった基本的なニーズが満たされない事は、当事者のこころの健康に大きな影響を及ぼしますし、いくら精神療法や薬物療法が提供されていても効果はありません。逆説的に、基本的なニーズが充足され、心の健康の社会的決定要因が十分にサポートされていれば、ほとんどの人は健康な生活を営むために自己決定をすることができるようになります。

「責任」と聞くと、どこか重苦しく、厄介な言葉のように感じられますが、自分の人生に責任を持つことができるようになるという事は、本当はとても大切な権利で、多くの人が望んでいるけれども実現できないでいる事なんじゃないかと思うのです。


コメントを残す

WordPress.com Blog.

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう