れい
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トラウマ治療について読んでいると、セラピーの種類(CBT,EMDR,PE等)や技法の議論について目にすることが多い。でも、私にとっては、セラピストが私の語りの eligible listner (適格な聞き手)であるかどうかがとても重要だ。

私には、加害者の残虐非道な行為に一人ぼっちで晒された過去がある。その過去と対比して、安心安全と感じられる場所で治療者が味方である中でトラウマの再体験をする現在が重要だと思っている。加害者による悪事の真っ最中、私はたった一人でその苦難に耐えなければならなかった。恐ろしいほど孤独だ。被害の瞬間に唯一私とともにいるのが加害者だ。加害者と被害者はそこで体験を共有する。加害者と被害者は一時的に緊密な関係を築く。

私は語りにより、セラピストをその最悪の体験に招き入れる。加害者と私の二人きりのプライベートな空間に援助者(セラピスト)が入ることにより、毒々しかった空間の色が変わる。暗闇に明かりが入る。加害者と私の間のトラウマ・ボンディングがほどけていく。その時セラピストに求められるのは、被害者の語りに寄り添うこと、被害者の背中をそっと支えること、被害者の守護天使になること。そこで、セラピストのエゴからくる考えや感情が一ミリでも入ったら、被害者はまた暗闇の中にたった一人で残されることになる。

セラピストは、自分のエゴは一時的に留保し、被害者が何を感じ何を考えていたかを深く読み取る必要がある。語りの行間にあるすべてを細心の注意を持って受け止める。鮮血の被害現場に慈愛の細雨を降らせる。この慈愛の細雨には、被害者の自責や自己嫌悪を洗い流す作用があり、慈愛は栄養分として被害者の中に吸収・同化され、被害者の中に「愛ある自己」が産み出される。トラウマによって浸食された「自己」が「愛ある自己」により補完される。


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